不立文字 教外別伝


不立文字教外別伝(ふりゅうもんじ  きょうげべつでん)

文字にこだわらず超越している。言葉の内外に伝える教えがあるという意味。

 

禅や悟り、仏とは、言葉や文字ではあらわすことができない。お釈迦様のお悟りは言葉では述べきれない。言葉は悟りの道筋や内容であって、真髄を全て言葉で説き尽くすことはできないという、禅の本旨をあらわしています。

 

曹洞宗では経典を唱え、経典を大事に学びます。しかし、文字は教えを伝える道具の一つにすぎないということです。

 

道元禅師は「お釈迦様の悟られた法(教え)そのものを仏法というのであるから、禅宗などといってはならない。私は仏法を伝えるのである。」と示されています。

言葉は大切ですが、それに囚われすぎてもいけないのです。

 

例えば、「一品の料理」があります。とても美味しい。その感動を相手に伝えます。聞いた側は、料理の美味しさや感動は理解できても想像でしかありません。実体験ではなく他者から伝わったことであれば、その料理を想像するにとどまります。その料理を実際に自分で食べて感じてこそ、料理の美味しさや感動を味わうことが出来ます。

その料理のレシピを学び、調理して、料理が出来るのです。食べるまでは想像の味です。味見をしてレシピを試行錯誤しながら、ようやく料理が完成します。

料理のレシピが経典で、調理することが経典を学ぶことで、食べることが経典を聴き唱える実践に例えると、レシピ通りにいかないことがあります。

 

つまり、言葉や文字には限界があり、言葉や文字では語り尽くせない悟りの境地が「不立文字」「教外別伝」です。

 

 私たちは「言葉では言い表せない」「言葉がみつからない」などと言います。心や身体で感じることは言葉や文字では語り尽くせないのです。

 実体験にこそ、真実の感動があり、拠り所があるのではないでしょうか。