今日は、成人の日です。、テレビやラジオで20歳を迎えられらた方のお話を聞くと、成人の定義は主に次のようなことがあげられるようです。
・選挙権がある
・飲酒など法的に認可されることが増える
・大人になる
・経済的に精神的にも自立した人
・責任を持てる人
などなど
成人年齢の基準は国により違います。日本国は20歳です。
成人年齢を過ぎていても「えっ?!それでも大人かよ?!いい大人が何をやってるんだよ!?」と思う人がいます。
それは私自身かもしれません。皆様からお叱りをうけそうです。
20歳を過ぎ35歳の私は、まだまだ大人に成りきれていない…。と自覚しています。
お釈迦様、道元禅師から成人とは何か?大人とは何か?考えてみたいと思います。
『正法眼蔵 八大人覚(しょうぼうげんぞう はちだいにんがく)』に次のように記されています。
「諸佛は是れ大人也。大人之覚知する所、所似に八大人覚と称する也。此の法を覚知するを、涅槃の因と為す。我が本師釈迦牟尼佛、入涅槃の夜、最後之所説也。」
訳: もろもろの仏(覚った者)は、大人(だいにん)である。大人の覚りを知るところであるから、これを八大人覚(はちだいにんがく)と称する。このことをよく覚り知るのが、涅槃(幸福)のもととなるのである。これは、我が本師であるお釈迦様が涅槃(悟り亡くなる)に入る夜、最後に説かれたものである。
大人になることが大事だとお示しです。
仏祖は、大人(おとな)とは云わず大人(だいにん)といいます。
『正法眼蔵』とは、曹洞宗開祖・道元禅師の著書で釈尊伝来の正しい教えが説かれています。
その中に『八大人覚』の巻があります。これは、正しく大人になれる8つの方法が書かれています。
①少欲(しょうよく)…欲をわずかにする
欲深い人は、いつも己の利益ばかり求めているので、自ずと苦悩も多い。
一方、わずかな欲しかない者は、欲張ることがないため欲深い人のように苦しみ悩むことがない。
欲に惑わされることがなければ、不満に思うことなく、少しのことで満足出来る。
②知足(ちそく)…足るを知る
満足を知ること。それだけで豊かで安らかな暮らしが出来る。
知足の人は、地上に寝起きする暮らしでも、安らかな地とすることが出来る。
一方、知足を知らない人は、宮殿に暮らしても満足することはない。
今、おかれている環境を、深く思い感謝し慈しむこと。
③寂静(じゃくじょう)…一人の時間を持ち、静けさを楽しむ
騒がしい所から離れ、一人静かなところに身をおき、苦の根本を無くす。
世間のことに縛られ執着すると、それだけ苦しみが増す。
④精進(しょうじん)…常に努力すること
精進こそ何事も成就する根本。
例えば、少しの水でも常に流れていることで、遂には石を磨り減らし穴さえもあけてしまう。もし怠慢な心を起こせば、例えば、火を熾そうとして、まだ木が熱していないのに止めるようなものである。
一瞬一瞬を疎かにせず、精一杯生きること。
⑤不忘念(ふもうねん)…正しい道を常に念じて忘れない
常に正しい教えを忘れない人の心には、煩悩や邪念が盗人のように入り込むことはない。その念を失えば、たちまちにその功徳も失う。
心が散漫にならないように、雑念が入らないように、精神を一つにし、集中持続させる強い信念があれば、いかなる誘惑や欲望に屈して害を被ることはない。
⑥禅定(ぜんじょう)…身心が静かに定まる平常心 <坐禅>
身と呼吸と心が静かに定まる時は、世間は生じては滅していると知り、刻一刻と常に変化し続けている真の世間の様子がみえてくる。
禅定の人は、煩悩に乱されない。
例えば、水を大切に使う家は、川・池・堤防を大事にし、壊れているとすぐに修復するであろう。修行する人も同じである。智慧の水を大切にし、心の堤を築き、水が漏れないようにしないといけない。
⑦修智慧(しゅちえ)…智慧を修める
智慧があれば、貪り執着することがない。だから我が身をよく省みて、常に智慧を失わないようにしなくてはいけない。それにより苦しみから離れる。
聞思修を覚り起こすと智慧となる。よく聞き、深く思い考え、しっかり実践すること。世界と己の心を、かたよらず、こだわらず、とらわれずに観る智慧を持ち育むこと。
⑧不戯論(ふけろん)…無駄な言葉を慎み、沈黙を守る
全ての戯れ事、空事を止め、虚しい妄想から離れる事。
無意味な言葉や議論は心を乱し、苦しみとなる。
『八大人覚』正しく大人になれる8つの覚りは以上の通りです。これらは、全体が密接に結びついています。
私たちの社会は、多くの出会い(縁)があり、結びついています。
私は、社会に出たくない。誰の手を借りないと言っても一人では生きていけません。コンビニへ行き弁当を買えば十分にお陰を受けています。自給自足をしても自然や生命の恩恵を受けています。何もしていないようでも、先祖・親から生命を頂き、今も息をして自然に生かされています。
せっかく人として生まれてきたのならば、一生懸命に生きたほうが幸せではないか。どんなに短い人生でも懸命に生きたのなら素晴らしい。何もせず、無駄に過ごした人生ならば、虚しく後から悔やんでも遅い。自分の思い通りにならないのが人生。だからこそ、せっかく頂いたこの生命を、正しい善い人に成り幸せになりたい。そして、大きな人になりたいものです。
皆が仲良く幸せに暮らすには、己のわがままを捨てなければいけない。
そのわがままを捨てれるのが大人ということなのだろう。
今、頂いている恩恵に気づき、しっかりと己の目で正しく物事をみて、相手の話をよく聞き、己の心に問いかけ思い、頭と心で考え、正しいことを導き出し、実践すること。そして、その考え行動が間違いならば深く反省し、もう一度己を省みて実践することが大事なのだと思います。大人に成ろうとする人はこの繰り返しを実践しているのだと思います。
大人とは、真の世間の様子を知り、己を知り、正しい生き方を実践出来る人であると思います。それを本当の成人というのでしょう。
私自身、道半ばですが、大人の道を歩む努力を続けたいと思います
少林寺20世 清涼 晃輝(せいりょう こうき)
1979(昭和54)年生まれ
豊川稲荷(妙厳寺)
愛知学院大学卒業
㈱坪井屋佛檀店
大本山永平寺
動物供養総本山 長楽寺動物霊園などで修行
平成21年 少林寺、蓮光寺(奈義町)住職就任
曹洞宗 圓通閣 澤龍山 少林寺
(美作西國三十三観音十一番札所)
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