「祇管打坐(しかんたざ)」(只管打坐ともいうともいう)とは、祇管は、ただひたすらにという意味。打坐は、坐禅に打ち込むことです。
道元禅師は、「先師古仏云(せんしこぶついわ)く、参禅者(さんぜんしゃ)は身心脱落也(しんじんだつらくなり)、祇管打坐(しかんたざ)して始めて(はじ)得(え)ん、焼香(しょうこう)・礼拝(らいはい)・念仏(ねんぶつ)・修懺(しゅさん)・看経(かんきん)を要(もち)いず」『正法眼蔵三昧王三昧の巻』
解説…
先師なる如浄禅師(道元禅師の師匠)は仰せられた。
参禅(坐禅を行うこと)とは、身心脱落(悟りの境地)である。ただひたすらに坐り始めて得ることができるのである。焼香も礼拝も念仏も修懺(自己の行いの罪を懺悔すること)も看経(経典を学び読むこと)もいらない。
まずは、ひたすらに坐ることです。一つのことに没頭するのです。
その時、他には何もいりません。坐禅をしている自分だけです。私が坐禅しますが、坐禅が私です。私と坐禅は一つです。
「始めて得ん」とありますが何かを得ようとして坐禅(修行)をするのではなく、何かを捨て去ることが大切です。
言ってしまえば、坐禅をしても何もなりません。何かを得ようとすることから迷い悩むのです。全てを捨て去るのです。消去法です。次から次に思いが浮かびますが繰り返し捨て去る作業です。
全身全霊をかけて坐るのです。
とにかく考えるより、まずは坐ってみましょう。
少林寺20世 清涼 晃輝(せいりょう こうき)
1979(昭和54)年生まれ
豊川稲荷(妙厳寺)
愛知学院大学卒業
㈱坪井屋佛檀店
大本山永平寺
動物供養総本山 長楽寺動物霊園などで修行
平成21年 少林寺、蓮光寺(奈義町)住職就任
曹洞宗 圓通閣 澤龍山 少林寺
(美作西國三十三観音十一番札所)
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